日本は明治維新以来の近代化の過程で欧米列強にならって近隣の地域を植民地支配しました。朝鮮半島に対しては、1910年に「韓国併合条約」を強制的に締結させ、その後、1945年まで植民地支配を続け、朝鮮半島の人々に物心両面にわたって大きな被害を与えました。とりわけ1937年からの戦時体制期には、侵略戦争に多くの朝鮮の人々を軍人・軍属、労働者として強制的に動員し、多大な人権侵害と犠牲をもたらしました。
1945年8月、朝鮮半島は日本の敗戦によって植民地支配から解放されました。ところが東西冷戦の激化によって、1948年には北緯38度線以南に大韓民国と以北に朝鮮民主主義人民共和国という分断国家が樹立されることになりました。二つの分断国家の対立は激化し、1950年には朝鮮戦争が勃発しました。その戦争では数百万人の人々が犠牲となり、膨大な物的損害が出て、全土が廃墟と化しました。1953年に停戦協定が結ばれましが、南北の分断は固定化されて、今日にいたっています。
朝鮮戦争のさなかの1951年10月に、日本国と大韓民国は国交を正常化するための交渉を開始しましたが、日韓は1945年以前に植民地支配、被支配関係にあったことから、交渉は難航しました。日韓会談では15年にわたって、基本関係、財産請求権問題、在日韓国人の法的地位問題、漁業問題、文化財問題などが議論され、1965年に日韓条約(基本条約、財産請求権協定、在日韓国人法的地位協定、漁業協定、文化財協定)が締結されました。
このアーカイブズは、この日韓会談の過程で作成され、日本の外務省が所蔵していた公文書をデータベース化したものです。日本の外務省は1976年より、作成から30年が過ぎた外交文書は案件ごとに公開の可否を審査・決定するという内規に基づいて公開してきたのですが、それらの文書は、朝鮮民主主義人民共和国との国交正常化交渉への影響などを理由に公開の対象から除外し、そのほとんどを公開してきませんでした。
こうした状況に変化をもたらしたのは、韓国で植民地支配・戦争の被害者らが起こした訴訟でした。当時の韓国の盧武鉉政権は2005年に、在韓被爆者を含む強制動員被害者らが起こした行政訴訟の判決を受けて、韓国外交通商部が保管していた日韓会談文書約3万6千ページを公開したのです。
韓国での文書公開の影響を受けて、日本でも2005年12月に「日韓会談文書・全面公開を求める会」が結成されました。「求める会」は、朝鮮植民地支配・戦争による被害の処理過程の真実と責任を明らかにし、被害者や遺族への謝罪と補償を実現させること、公文書の公開要求運動による民主主義社会づくりをめざすことを目的とし、おもに日韓会談文書の開示請求、シンポジウムの開催、ニュースの発行、開示文書のホームページ上での公開などの活動を行なってきました。
「求める会」は、情報公開法にもとづいて日韓会談文書の全面開示を国側に求めましたが、それが果されなかったため、3次にわたる訴訟を起こしました。第1次訴訟(2006~08年)では、国側が文書公開を怠ったという「不作為」の違法が認定されました。その結果、外務省側は2008年5月までに1916文書、約6万枚の文書を公開しました。
ところが国側は、情報公開法第5条3号「国の安全が害されるおそれ、他国若しくは国際機関との信頼関係が損なわれるおそれ」、および4号「公共の安全と秩序の維持に支障を及ぼすおそれ」がある場合、「行政機関の長が認めることにつき相当の理由がある情報」は開示対象から除かれるという条文を根拠に、382か所(全体の約25%、全文非開示を含む)を非開示とする措置をとりました。
非開示措置を受けて「求める会」は、第2次(2008~11年)、第3次(2008~)訴訟を起こして、国側に日韓会談文書の全面公開を求め続けました。第2次訴訟では原告側の訴えは棄却され、敗訴が確定しました。第3次訴訟では、非開示とされていた382か所のうち268か所(約70%、全文開示を含む)の開示を国側に命じる「勝訴」判決となりました。現在「求める会」HPで公開されている公文書は、「求める会」の文書公開要求運動と多くの市民の支援によって勝ち取られたものなのです。
このアーカイブズは、公開されていなかった公文書を収集し、公開しているものです。公開されていなかった公文書は、国の行政機関を対象にした情報公開法にもとづく情報公開請求を行い、公開あるいは部分公開されたもので、これを収蔵していることが他のアーカイブズとの違いです。
いずれも公文書であるため、遠い将来、歴史文書として公文書館に移管される情報もあるでしょう。一方で、すべての公文書が公文書館に移管されて永久保管されるわけではありません。選別を経て残すべきと判断されたものだけが、保管されます。時間の経過とともに相当の量の公文書が失われていくことが予想されます。
日韓会談での日本政府の議論や判断、対応を歴史として将来にわたって検証できるようにしておく必要があります。日韓会談文書にアクセスできる環境を作り維持することが、20年後、30年後でも、多くの人の力になることを願っています。
なお、このアーカイブズをつくるための情報公開請求費用や作業に必要な費用の一部は、以下から拠出しました。
○日韓会談文書・全面公開を求める会○日韓会談文書等管理委員会
○一般寄付
アーカイブズのシステム構築に必要な調査研究、データベース作業は、JSPS科研費 JP16H03481 基盤研究(B)「日韓国交正常化交渉および戦後日韓関係に関する基礎的研究」の一環として行われました。