日韓会談文書の全面公開がもたらすもの
―「日韓会談文書・全面公開を求める会」の運動の背景、経緯、意義
吉澤文寿 『反天皇制運動 あにまる』第Z期第4号(通巻273号、2007年4月10日発行)に掲載
最近、とくに安倍政権になって、歴史認識が疑われる政治家の発言が相次いでいる。例えば、日本軍「慰安婦」問題について、一国の首相が「慰安婦狩りのような官憲による強制連行的なものがあったと証明する証言はない」とか、「いま従軍慰安婦の問題は、続いているわけではない。拉致問題は、まだ日本人が拉致されたままという状況が続いている」などという不見識な発言を繰り返している状況は決して見過ごすことができない。「慰安婦」問題に限らず、朝鮮人強制連行・強制労働、ひいては朝鮮植民地支配にたいする責任といった諸問題について、今こそ日本人が知らなければならない。
日本政府に対して、元「慰安婦」を含む戦時の強制連行・強制労働被害者による責任追及の動きは、現在も続いている。しかし、多くの裁判官は「国家無答責」「除斥期間(時効)」の論理を適用したり、二国間交渉で解決されたものとしたりして、日本政府や企業に免罪符を与えてきた。そして、朝鮮人被害者を原告とする裁判において、この「二国間交渉で解決された」とする判決によく持ち出されるのが「日韓協定」である。
「日韓協定」とは、1965年6月に日韓基本条約とともに締結された「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」のことである。この協定には、日本から韓国に対して、無償3億ドル、有償2億ドルの経済協力資金及び民間借款を供与するという条文と、日韓両国及びその国民の請求権が「完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」という条文が併記されている。
問題はこの協定が締結されるまでに、日本政府と韓国政府の間で何が話し合われたのかということである。両政府は1951年10月から1965年6月まで、国交正常化のための交渉を断続的に続けてきた。この交渉は通常「日韓会談(あるいは日韓交渉など)」と呼ばれる。先述の通り、日韓会談は1965年に終わったはずである。外交文書の公開原則は作成から30年経過したものとされており、外務省外交史料館もこの原則を守っている。しかし、1985年になっても日韓会談にかんする公文書(以下、「日韓会談文書」とする)は一切公開されなかった。そのため、一般の人々はおろか、研究者であっても、日韓会談文書を閲覧することが全くできなかった。したがって、日韓会談の一次資料にあたろうとしたら、韓国や米国で部分的に公開されている外交文書を閲覧するしかなかった。
外務省が日韓会談文書を非公開とする理由は日朝国交正常化交渉(日朝交渉)であった。つまり、外務省は1990年11月から行なわれている日朝交渉に影響があるなどとして、韓国政府に対しても日韓会談文書の非公開を要請していた。また、1999年に情報公開法が制定されると、外務省は日韓会談文書が情報公開法第5条第3項にある「公にすることにより、国の安全が害されるおそれ、他国若しくは国際機関との信頼関係が損なわれるおそれ又は他国若しくは国際機関との交渉上不利益を被るおそれがあると行政機関の長が認めることにつき相当の理由がある情報」に該当するとして、非公開の姿勢を堅持した。だが、外務省はここでいうところの「影響」や「おそれ」が具体的に何であるか、説明したことがない。
しかし、このような状況は2003年に韓国で盧武鉉政権が発足してから変化する。韓国人被害者100人による日韓会談文書の公開を求める訴訟が、2004年2月13日ソウル行政裁判所で一部勝訴したことを受けて、2005年1月及び8月に韓国政府が外交通商部(日本の外務省に相当)管理下の日韓会談文書を全面公開したのである。これにより、被害者たちの権利が本当に「日韓協定で解決済み」なのか、検証できる可能性が高まった。だが、日本政府は韓国での動きにもかかわらず、日韓会談文書の非公開を続けている。日韓会談にかんする公文書の全面公開は、植民地支配責任を果たすべき日本側の文書が公開されることで、はじめて完結するのである。
このような状況を受けて、私が共同代表を務める「日韓会談文書・全面公開を求める会」(以下、「求める会」)は2005年12月に発足した。2006年4月に情報公開法に基づき、請求人331名(後に433名)が外務省に対して、すべての日韓会談文書の公開を請求した。しかし、外務省は「可能な部分については6月24日までに通知する」としながら、8月17日に第4次日韓会談本会談会議録13件のみの開示通知をするという不誠実な対応をした。しかも、それらはプレス・リリースされた部分を除いて非開示とするものだった。
そこで、「求める会」は韓国で公開されている文書で今回「非開示」とされた部分を確認した上で、10月2日に異議申立書を提出し、12月18日に外務省を相手取って提訴することにした。そして、2007年3月6日、東京地裁にて第1回口頭弁論が開かれ、崔鳳泰弁護士、被害者の遺族である李金珠さん、大学教員の吉澤が弁護士、被害者、研究者の立場から、それぞれ日韓会談文書を全面公開せよと訴えたのである。
この裁判がしばらく続くかと思われた矢先、外務省は「求める会」に3月28日付の文書を通じて、先の異議申し立てを受けて非開示部分を全面開示すると回答してきた。その理由として「不開示とした部分については、これを公にしたとしても、他国との交渉上不利益を被るおそれがあると認められるとまでは言えず」、「開示しても差し支えないと判断するに至った」ためと述べられている。
この結果、韓国で公開された内容で、「他国との交渉上不利益を被るおそれ」がないと認められる文書は非公開とする理由がなくなったといえる。だが、「求める会」の運動は、当然ながら、この段階にとどまるわけにはいかない。これからは、韓国で公開された内容で、「他国との交渉上不利益を被るおそれ」があると回答された文書をいかに開示させるか、さらに日本政府がつくった政策文書など、韓国で公開されていない文書をいかに開示させるかという課題に取り組まなければならない。
このように、日本における日韓会談文書公開要求運動の背景と経緯について整理した上で、その全面公開が何をもたらすか、改めて述べていきたい。
第一に、日韓会談文書が全面公開されれば、「日韓協定」によって解決されたものと、解決されていないものが何かが判る。『環』23号(2005年8月)で太田修氏(太田氏は本会の共同代表)が述べているように、日韓会談では日本の植民地支配が適法であったことを前提とし、その下で作られた法律を基礎として、日韓間の「財産」と「請求権」について話し合われたに過ぎない。つまり、「植民地支配・戦争の清算を目指すものではなかった」(224頁)のである。一歩譲って、未払金や郵便貯金などについて討議されたとしても、同誌で金昌禄氏が述べているように、「この「協定」では、「植民地支配」と関連した権利問題は、せいぜいその一部が取り上げられただけで、依然、未解決の状態にあるばかりでなく、十分に問題化すらされていない」(221頁)のである。したがって、「日韓協定」によって、植民地支配責任の履行を求める被害者たちの声が妨げられることはあり得ないということになる。
第二に、日本政府の情報公開にたいする姿勢を批判し、これを改めさせることができる。日本政府、とくに外務省は情報公開に対して最も消極的な省庁として知られている。この世界に生きるすべての人々は特別な理由がない限り、知るべき情報を知った上で行動する権利を持っている。外務省に限らず、何の正当性もない理由で情報公開を制限することは、このような普遍的権利を侵害するものである。日韓会談文書の非公開とは、そのような人権侵害の典型的な事例である。
第三に、日韓会談の内容をふまえて、日本と朝鮮(南北朝鮮)とのあるべき関係について、公開的な議論が可能となる。研究者やジャーナリズムに限らず、日韓会談の内容が広く一般に知られるようになれば、日本の植民地支配責任がいっそう明確になる。そうすれば、韓国の被害者のみならず、朝鮮民主主義人民共和国に暮らす被害者たちの人権について考える契機となるだろう。日朝交渉についても、日本人拉致問題だけではないという、当たり前の事実が知られることになる。
最後に、外務省が情報公開法第5条第3項に依拠して主張するような「他国もしくは国際機関との交渉上不利益を被るおそれ」について、私なりに考えたい。外務省は日本の植民地支配責任について逃げられなくなることを「不利益」と考えているかもしれない。しかし、むしろ日本政府が積極的に植民地支配責任を果たした方がはるかに日本の「利益」になるのではないだろうか。冒頭で触れたように、今日の日本政府は歴史認識の問題で近隣諸国のみならず、米国、カナダ、オーストラリア、シンガポールなど日本と関係が深い国々からも非難されている。日本の閣僚らが歪曲された歴史認識を披露するたびに、日本は「国益」を損なっている。むしろ、日本政府が植民地支配責任に対して誠実に対応した方が、このような国々からの信頼を勝ち取ることができると、私は考えている。
以上、日本における日韓会談文書の全面公開を求める運動の背景、経緯、意義について説明してきた。「求める会」の運動について、読者の皆様を含めて、一人でも多くの方々にご理解を乞うところである。